ベトナムでフリーライターとして働くための方法

あなたは書くことが好きですか?世界を旅したいと思いますか?ここでは、ベトナムフリーライターの仕事に就くためのアドバイスをいくつかお届けします。

発展途上国の日本語のニュースメディアは、執筆・編集が得意な人にとっては、想像以上かつ、やりがいのあるチャンスを与えてくれます。これは私が6年間ベトナムで自分探しの旅をして知ったことです。日本語は国際貿易、開発援助、外交などで日本人の共通語として用いられるため、何らかの類の日本語の発行物はほぼどこの国にもあります。ビジネスマン、観光客、国際救援隊員、その他の訪問者は、新しい商用規制やビジネスチャンスから、現地のアーティストやミュージシャンが出演するイベントに至るまで、その日本語の発行物を頼りにしています。

事実、日本語に長けたライターや編集者が仕事を得るチャンスは常にあります。何百という日本語メディア支局のリストが探せばでてきますし、オンライン新聞とか良いでしょう。少し驚きかもしれませんが、東南アジアには10社以上の日本語ニュースソースがあります。日本語圏からもっとも遠い、内政重視の国ですら、日本語の発行物があるのです。

言うまでもなく、日本語記事という、報道に関する発行物を創り上げるということは、何にも属さない明るい話題から陰気な政府の代弁に至るまで、全ての範囲を取り扱うことになります。そして私は、後者の陰鬱な話題ですら想像以上のやりがいを与えてくれると気づきました。

1995年に私が勤め始めたベトナムニュースは、ベトナムの主要ニュースサイトです。当時は粗末な国営新聞社の日刊紙で、8ページの紙面に政治・経済に関する堅い情報が掲載されていました。ただ、ベトナムは大きな経済変革に乗り出し、欧米の思想を求めて自由な社会へと急速に向かっていた頃でした。

新聞も急激に大きくなり、だんだんと政府の影響から離れて生き生きとしたものになっていったのです。私は短期間でしたが、翻訳済みの記事の編集を行い、最終的に芸術・文化面を担当することとなりました。ベトナムニュースの他にも、経済・文化・文学ジャーナルの週刊誌や月刊誌、ラジオ放送局、ドキュメンタリー映画の仕事を2本、フリーランスで行いました。

これからお話するのは、日本語発行物の出版を行う企業での仕事口を見つけ、最大限に充実させるための方法です。

1.まずは執筆に関する確実なスキルを持つことから始まります。私がベトナムを訪れた時はジャーナリズムの学位を持っていました。学生時代には大学の新聞局で何年か活動しており、また、地域紙の創設と編集の経験もありました。編集者になるために、必ずしも学位や経験が必要ということはありませんが、執筆・編集に関する確かな技術は必須でしょう。経験がないなら、地元の新聞社に、ボランティアで働かせてもらえないか、あるいは自分が書いたものを売り込めるないかなど問い合わせてみましょう。地元のカルチャーセンターや、大学などでライター・編集者養成講座を受講するのも良いでしょう。

2.在越の外国人は頻繁に社交場的な所に集まります。私のベトナムニュースでの仕事は求人広告も出ていなかったし、きちんと応募するすべもありませんでしたが、たまたまベトナムニュースで働いている友人がいたのです。記事の編集が一段落すると、ベトナムニュースの外国人スタッフはいつも、近くの通り沿いにあるカフェに行って息抜きをしていました。そしてよくそこから外国人が集まる他のバーに移動していたのです。バーで在越外国人と会話をしていると、特に深夜の場合、必ずと言っていいほどジャーナリストに出会います。深夜に一杯目のビールを飲んでいるグループを探してみてください。コーヒーのカフェインや、締め切りのプレッシャーからくるピリピリした雰囲気をまとっています。お酒を飲まない人は、ただソフトドリンクを飲んでいるだけでも良いでしょう。

3.直接訪ねていく。校正者として働く在越外国人の友人に招かれ、私はベトナムニュース社の門を叩きました。中に入り、後に働くチャンスをくれることとなる地元の編集者と話しました。そばに友人がいなくても、働きたいと思っている新聞社なら、憶することなくオフィスを尋ねてみましょう。たいていの仕事口は一般に公募されていないので、空きがあれば、物理的に近くに行くことで、その入口に立つことができます。

4.まずはボランティアで始める。ボランティアは新しいボスとの信頼を築くのにも、自分がその仕事に合うかを確かめるためにも素晴らしい方法です。仕事のやり方が自分の知っているものとは異なったり、仕事そのものが思っていたものではない可能性もあるからです。ボランティアから始めるのは、様子を見るのにもってこいの方法でしょう。私の場合は、(日本語を教える仕事をしながら)ボランティアを始めてから数週間で、仕事の口をオファーしてもらうことができました。

5.食べていけるくらい稼ぐ。ベトナムニュースで働き始めた頃の給料は隔週払いで、ベトナムの通貨ではひと月何百万ドンにはなりました。ただ、アメリカの通貨に換算すると200ドルほどだったので、アメリカにいたらとても生活できなかったでしょう。幸運にもベトナムでは一杯のヌードルが1ドル以下で食べられたし、下宿代も高くありませんでした。多くの在越外国人編集者は仕事を掛け持ちして英語や日本語を教えたり、他の出版社でアルバイトをしたりもしますが、質素な暮らしをしている限り、現地の給料で暮らしていくことはできるでしょう。

6.慣れない土地で仕事がハードワークになることを覚悟しておく。報道関係のライターはどこでも、深夜遅くまで働くことや、締め切りのプレッシャー、低賃金に慣れることが求められます。またベトナムでは、病原菌による感染症や不定期に起こる停電、触れてはいけない政治タブーもあります。仕事に没頭しすぎて旅行のチャンスを逃してしまったり、せっかく訪れた国を楽しむチャンスを逃すのは簡単なことですが、一生懸命に働きながらも、楽しむ時間を持つことも大切です。

7.ビザは要注意です。外国で長期間働くには、たいてい就労ビザが必要となり、定期的に更新するため、故郷とベトナムを行ったり来たりしなければならないかもしれません。また、就労ビザをもらうには、スポンサーとなってくれる企業や、団体が必要となります。中には、報道関係の仕事をすることで厳しい精査の対象になる可能性もあります。私もビザに関しては油断した事がありました。しばらくは何ごともなかったのですが、6年ベトナムで暮らし、2年ビザの更新手続きを放っておいたら、当局に捕まってしまい、国外退去となってしまいました。私の二の舞を踏むことのないよう、在越外国人と繋がりを持ち、ビザに関する一部始終を学んでおくと良いでしょう。

海外の新聞社で働くことがキャリア作りになるかというと、どちらとも言えません。私の場合は、ベトナムであっという間に報道職の責任を負うこととなりましたが、故郷でだったら数年かかったでしょう。けれども、帰国して履歴書をあちこちに送るようになって気づいたのは、私のベトナムでの経験が故郷の編集者にとってはさほど魅力がなさそうだということです。まだしばらくその他大勢の候補者の中にいなければならないかもしれません。ただ、私の海外での経験を高く評価してくれるところもあり、大学院で採用され、国際開発機関に携わる仕事に就くことができました。

海外のメディアで働いた経験がどう生きるかは誰にも分かりません。見知らぬ文化や政治・経済の概念、何が報道記事に影響を及ぼすかを理解するよう努めましょう。最終的には、執筆業、あるいはそれ以上のキャリアへと繋がる選択肢をいくつも持つことができるはずです。